あの頃 · 写真100枚
水原と光教、あの頃の風景
駅前でバスを待ち、市場の路地を歩き、校庭に集まった日々。水原駅と仁渓洞、城郭の内外の街から光教の昔の集落まで、写真の中の道をたどります。
100枚の写真を見る駅と広場、行き交う人々
水原駅から始まる一日
低い駅舎と駅前広場、水仁線の列車と周辺の道。人と交通手段が集まる場所を、異なる時期の写真で見ていきます。
水原IC付近の広い車線
1969年、水原IC付近の高速道路沿いを記録した写真。広い車線を数台の車が走り、大きな白い路面標示と街灯が遠くまで続く。道路脇の低い土地と長い中央分離帯が、交通のために確保された空間の大きさを示す。
水原駅前広場、過去と現在
1971年には、低い建物の前にバスや車が間隔を空けて停まっています。2000年の写真には、広場を囲む路面表示と長い車列が見えます。同じ駅前空間を異なる方向と高さから捉えた記録です。
ここでの現在は2枚のうち後の撮影時点を指し、今日の姿ではありません。
噴水ができる前の駅前広場
1971年、工事前の水原駅前広場。広い道路の向こうに低層の商店が並び、バスや乗用車のそばに人々が立ち、歩いている。駅前が鉄道での移動と町の商店、バスの往来をつなぐ場所だったことが分かる。
水原駅前、車が集まる広場
2000年の水原駅前を見下ろした写真だ。低い駅舎の前には乗用車やバスの列が続き、工事用の囲いや掘削機も見える。広場の曲線と各方向へ向かう車をたどると、駅が街の主要な道路を結んでいた様子がわかる。
手作業で敷く駅前の舗装ブロック
1972年、水原駅前で歩道の舗装工事が進む。しゃがんだ人が四角いブロックの間隔を整え、その後ろでは帽子や長靴姿の人々が土を運んでいる。日々歩く道が、多くの手作業によって造られる過程を伝える。
バスが行き交う昔のターミナル
1988年、水原ターミナル周辺の道路をバスや乗用車が埋める。異なる向きに並ぶバスの向こうには、車の通り道に接した建物が見える。遠方への交通と町の日常の道が、直接つながって動く風景である。
出発を待つ水仁線の列車
1994年6月、水原駅で出発を控えた水仁線の列車を撮った写真。丸い前照灯と狭い出入口、線路の上に続く車体が縦長の画面を占める。車両の端に腰を下ろす人の姿まで写り、大きな駅の全景とは違う、列車のすぐそばの空間が見える。
水原―松島の表示と車窓
1994年6月、水仁線の客車の側面には「水原―松島」と書かれた行先表示が付いている。窓枠の向こうに乗客の顔や動作が見え、外の景色も窓に重なって映る。路線名だけでは見落としがちな、実際にこの列車で移動していた人々の姿が残されている。
水原駅付近の踏切
1995年10月、水原駅付近で列車が道路を横切る場面。連なる客車の向こうに低い建物や電柱が見え、車道の端には人が立っている。同じ高さで交わる線路と道路が、当時の駅周辺の移動風景を伝える。
水原駅の看板の下を行き交う人々
2000年4月の水原駅入口には、韓国語と英語で駅名が掲げられている。「きっぷ売り場」の案内の下を鞄を持った人々が行き交い、右手には公衆電話ボックスが並ぶ。低い庇とそのすぐ前の歩行空間が、当時の駅へ入る場面を間近に伝えている。
水原駅のそばでバスを待つ列
2002年、水原駅周辺のバス停に人々が長い列をつくっている。鞄を背負った人々のそばにバスが停まり、塀と街路樹の間の歩道が待合の場所になっている。鉄道駅の周辺でバスに乗り継ぐため、一時的に立ち止まる街路の姿を伝えている。
水原駅向かいの路地、昼の風景
2005年1月、水原駅の向かいにあった性売買業者集積地の昼の路地を記録した写真だ。建物の外壁には小さな看板が重なり、頭上には電線と青少年保護区域を知らせる横断幕が見える。狭い車道に直接面した出入口が、当時のこの地区の街路構造を示している。
大きな窓の下、水原駅のコンコース
2012年の水原駅内部には、上部の長い窓から光が差し込んでいる。広い床を人々が行き交い、両側の椅子では人が待ち、上階には店が並んでいる。移動、待ち時間、買い物が階を分けながら一つの空間に収まる駅の姿を示している。
南門・市場・仁渓洞
店と看板の間を歩く
市場の狭い通路から広い交差点まで。並ぶ商品と店名、道を行く車や人々から、街の暮らしを読み取ります。
資料の作成日は1960-01-01と記載されているため、ここでは年のみを表示します。
栄洞市場の布地店
1960年と記録された栄洞市場の華川商会の姿。天井近くまで布地が何段にも並び、畳んだ反物や布が店先を埋めている。商品に囲まれて座る人々と大きな漢字の看板が、小さな店の表情を伝える。
八達門前の通り、過去と現在
1969年には、八達門へ向かう道路を自転車、歩行者、車が行き交っています。1993年の写真では、信号の下で横断歩道を渡る人々が大きく写ります。見る方向は異なりますが、城門と周囲の店が日常の移動の場を形づくっています。
ここでの現在は2枚のうち後の撮影時点を指し、今日の姿ではありません。
南門を望む通り
1969年の南門通りでは、道の先に城門が見える。自転車や自動車、歩いて道を渡る人々が同じ画面を行き交い、両側には店の看板と電線が続く。城門が町の日常的な移動の目印にもなっていたことを感じさせる。
南門前の横断歩道を渡る人々
1993年、南門の前で人々が横断歩道を渡っている。コートやジャンパー姿の歩行者のそばに車が止まり、背後の建物には各階の店の看板が並ぶ。城門と商店、車道と歩道が一つの画面に重なり、史跡が生活の中心でもあった街を示している。
天幕の下の水原川市場の路地
1972年、水原川周辺の店を記録した写真。天幕に覆われた狭い通路の両側に野菜や器が並び、大人と子どもが商品の間を通る。品物を広げる店先と人の歩く道が、ほとんど隙間なく接している。
川辺に幾重にも積まれた甕
1972年、水原川沿いの店先に大小の甕が高く積まれる。陳列台を支える柱の下には土や石が露出し、その下を細い流れが通っている。生活用品を売る店が川の縁まで場所を広げていたことが分かる。
原記録の題名に1976年7月6日と明記されています。
城門を巡るバスとトラック
1976年、水原の城門の周囲をバスやトラックが回る。丸みを帯びた城壁と石段が画面の中央にあり、そのすぐ外側に車道と商店の建物が並ぶ。古い城門が日常の交通の流れの中に置かれている。
原記録の題名に1976年8月25日と明記されています。
レジに置かれた買い物かご
1976年、水原のクローバー店のレジ。商品を入れたかごの隣にボタン式のレジスターがあり、柱には手書きの価格案内が貼られている。選んだ品物の代金を払う日常の一瞬に、当時の店の道具や陳列方法が残る。
走る選手と沿道の観客
1982年、京湖駅伝マラソンが水原を通過する瞬間。走る選手の後ろでは、商店前に並んだ人々が視線を集め、道端には乗用車が止まっている。普段の商店街の歩道が、しばらく競技を見守る場所に変わる。
城郭のそばを走るバス
1993年の華虹門周辺では、城郭と道路がすぐ近くで接している。画面下をバスや乗用車が通り、城壁の向こうには低い屋根や数階建ての建物が続く。城郭を独立した史跡としてだけでなく、日常の交通や建物の間にある空間として見られる。
交差点を囲む低層の商店
1999年、水原の旧市街の交差点を高い場所から見下ろした風景。角に沿って並ぶ低層の商店には各階の看板が付き、その下には横断歩道や車が見える。建物の高さと道路の幅を合わせて見ると、当時の中心街の空間構成がわかる。
魚の売り台の間を通る道
1999年、南門・栄洞市場周辺の水産物売り場には、魚を並べた売り台が長く続く。低く張られたひさしの下には電球がともり、箱やたらいの間を人々が通る。食材の陳列と人の移動が一つの通路に集まる、市場の具体的な姿が残されている。
衣類と人で埋まる市場の路地
1999年、南門市場・栄洞市場周辺の路地には、衣類のラックや陳列台が道際まで出ている。人々は残された狭い通路を行き来し、頭上には店名の看板やひさしが重なる。商売の場所と歩く場所が接し合う、市場の密度が一目で伝わる。
看板と駐車車両が続く路地
1999年、水原市内の路地では、ワゴン車や乗用車が道の端に沿って止まっている。高さの違う商店の壁には縦長の看板が付き、狭く見える空を電線が横切る。大通りから一歩入った商業路地の幅と、人や物が行き交う環境を伝えている。
羅蕙錫通り、過去と現在
2000年には、羅蕙錫の名前を記した大きな横断幕と細い街路樹が見えます。2007年には、同じ歩行空間の彫刻やベンチ、増えた看板、休む人々が目に入ります。2枚を並べると、舗装や街路設備も見比べられます。
ここでの現在は2枚のうち後の撮影時点を指し、今日の姿ではありません。
横断幕の下の羅蕙錫通り
2000年2月の羅蕙錫通りには、羅蕙錫を紹介する大きな横断幕が架かっている。両側には店舗や植え込み、樹木の支柱が並び、足元には色の異なる舗装材が敷かれている。車道とは区別された広い歩行空間が、この通りの中心をなしている。
ベンチと看板が並ぶ羅蕙錫通り
2007年の羅蕙錫通りでは、歩行路の両側にある低い椅子に人々が座っている。銅像の向こうまで道が延び、高い建物の看板や店の入口が歩行空間を囲む。2000年の写真に見える小さな木や広く露出した舗装面と比べると、日陰や立ち止まる場所の変化を読み取れる。
栄洞市場の分かれ道と陳列台
2000年の栄洞市場周辺の分かれ道を上から見た写真だ。「市民百貨店」の看板の下では、衣類や日用品の陳列台が道へ広がり、その間を人々が通っている。店内と店先の売り場、歩くための空間が密接に組み合わさる市場の構造が見える。
通りの真ん中で夏の水遊び
2001年の夏、羅蕙錫通りの地面から噴き出す噴水で子どもたちが遊んでいる。水の間を歩いたり走ったりする姿の向こうには、店や銅像が続く。買い物や散歩のための通りの一角が、子どもたちの夏の遊び場になった場面だ。
池洞市場の野菜売り場の手仕事
2010年の池洞市場で、一人の商人が野菜や袋を整理している。かごには葉物野菜や長ねぎが入り、陳列の間に秤やたらいが置かれている。低い位置に広げた商品と手の届く道具が、市場の商いの作業空間を具体的に伝えている。
梅香トンダク前の小さな屋外テーブル
2012年、梅香橋付近の梅香トンダク前で、人々が小さなテーブルを囲んで座っている。赤い看板と庇の下に青い椅子が並び、店内の明かりが歩道まで届いている。食堂の営みが入口の外へ続く、水原川周辺の飲食店街の姿を示している。
城郭の内外の路地と水路
大通りの奥に続く暮らし
住宅と路地、川と橋、人々が共に使う空間。身近な街の変化は、小さな生活の痕跡にも残っています。
水原川の工事現場と水の流れ
1969年の水原川の工事現場。水際のポンプと太いホースのそばに土や石が積まれ、背後の建物前では人々が作業している。川の整備が、町の暮らしのすぐ隣で行われていた様子が分かる。
複数の場所をまとめた1970年のアルバムの記録です。
広い工場と空き地
1970年の水原の諸施設を記録したアルバムに収められた工場の姿。長く延びる建物と煙突の前には広い空き地があり、入口の小さな建物から敷地の規模を読み取れる。商店の密集する路地とは異なる、都市の生産空間を示している。
仁渓洞の坂道
1972年、仁渓洞の洞事務所近くの坂道を見下ろす。でこぼこの道では自転車を押す人や歩行者が行き交い、高い擁壁と低い家々が両側に接している。坂の下へ続く町並みが、細い道の大きさや手触りを伝える。
梅橋の下での共同作業
1972年、梅橋付近で水原川を清掃する場面。人々は斜面や水際に分かれ、長い道具で地面をかいたり土を動かしたりしている。かがんだ背中やそれぞれの姿勢から、川の整備に必要だった手仕事の量が伝わる。
屋根の間を延びる大通り
1978年、高い場所から見た水原市街地。瓦屋根や平らな屋上、中層の建物が入り交じり、中央にはまっすぐな道路が遠くまで延びる。低い家が密集する町と大きな建物が、一つの画面の中でつながっている。
アパートの下の商店街
1979年、水原の集合住宅団地と商店を一緒に写した写真。棟番号のある住宅の下に低い店が並び、階段や擁壁のそばには旗が立つ。住まいと店が近くに配置された団地の日常の動線を読み取れる。
華虹門、過去と現在
1982年と1993年の写真では、どちらも石のアーチの上に楼閣が載っています。前の写真は周囲の石垣まで広く収め、後の写真は水門を流れる水に近づいています。残り続ける建物と水路を異なる距離から見比べる組み合わせです。
ここでの現在は2枚のうち後の撮影時点を指し、今日の姿ではありません。
七つの水門の下を流れる水
1982年の華虹門の楼閣と七つのアーチ形水門。石造りの水門の下を水が通り、低い段差を越えて流れ、両側には階段と水辺へ降りる場所がある。建物の形だけでなく、川をまたぐ構造も眺められる。
華虹門の下を流れる水
1993年の華虹門の下には、アーチ形の水門が並んでいる。低い段差を越えた水が手前へ広がり、上の楼閣は石の構造とは対照的な屋根の線を描く。街の水路と城郭施設が一体となって続く姿が見える。
一緒に消防ホースを構えて
1984年、水原の防火大会で放水する場面。消防車から延びるホースを人々が一緒に構え、建物へ向かう水流と白いしぶきが画面を満たす。記録上は防火行事であり、実際の火災の写真とは断定しない。
原記録で確認できるのは年のみで、月日は記載されていません。
仁渓洞の新しい市庁舎
1987年の記録に残る、仁渓洞の水原市庁舎の新庁舎。横長の窓が続く建物の前を柵と車道が横切り、入口付近には横断幕や小さな木が見える。公共庁舎の規模と、その周囲の街路空間を合わせて眺められる。
仕事を運ぶ市のトラック
1987年、水原市の地方税滞納処分用車両を記録した写真。小型トラックのドアには公務の表示があり、荷台には用途を伝える大きな文字が付いている。長い座席部分と開いた荷台が、人と物を運ぶ実務用車両の姿を示す。
移転を告げる通りのアーチ
1987年、京畿道警察局の水原移転を知らせるアーチが道路の上に立つ。その向こうには緩く曲がる道、低い建物、歩く人々が見える。公共機関の移転が、街路の大きな文字と構造物によって伝えられたことが残る。
道端に集まって一緒に働く
1988年、街路の植栽作業に参加する人々が輪になって座る。帽子と手袋を着け、苗を分けながら地面へ手を伸ばし、その後ろには店や低い建物が見える。植物そのものよりも、一緒に体を動かして町の道端を手入れする活動が中心の写真だ。
試合前の観覧席
1989年、水原総合運動場の観覧席からグラウンドを望む。青い段状の席と芝生、防球ネットが重なり、高い照明塔が空へ伸びる。試合のない時間にも、多くの観客を迎える施設の規模が伝わる。
丘のふもとの市民会館
1989年の水原市民会館を高い所から眺めた写真。白い建物と大きな屋根のホールが続き、前庭には駐車区画や入口へ向かう階段が見える。人が集う公共施設が、丘と市街地の間に置かれた様子を読み取れる。
文化芸術会館前の広い横断歩道
1990年、仁渓洞の京畿道文化芸術会館前の道路を見た風景。広い横断歩道の向こうには乗用車やトラックが並び、その奥に大きな屋根を載せた会館がある。文化施設の建物とともに、前を通る道路や交通の規模も読み取れる。
建物が立ち並ぶ前の勧善区の土地
1990年、勧善区の宅地開発予定地を撮影した写真。掘り返された地面の向こうにゴルフ練習場の高いネットと既存の建物が見える。空いた開発用地とそれまでの施設が同じ画面に並び、街の周辺部が変わる途中の姿を示している。
農水産物センターの建設現場
1992年、水原市農水産物センターの建設現場には、仕上げ前の長い建物が立っている。手前には鉄骨部材が並び、地面にはれんがや資材が積まれている。品物を売買する場所になる前の、流通施設の骨組みを造る段階が写っている。
高さの違う屋根が埋める街
1993年、高い場所から見下ろした水原には、低い住宅と大きな建物が密に混ざっている。手前の赤れんがの建物や尖塔の奥には、住宅地と集合住宅が遠くの山まで続く。建物の大きさや屋根の形をたどると、街の生活空間が重なり合う様子が見えてくる。
夏の水原川に集まった子どもたち
1997年の夏、水原川には浮き輪に乗る子や水につかる子どもたちが集まっている。低い堰を越える流れの前で水しぶきが上がり、両岸の上には建物や道が見える。街の中の川が遊びの場として使われていた瞬間を近くから捉えている。
仁渓洞・農協交差点の高い建物
1999年1月、仁渓洞の農協交差点では、高い建物の間に広い道路が延びている。手前の車線には乗用車が並び、建物の低層階には店の看板が付いている。商業施設と車の流れを合わせて見ると、当時の仁渓洞中心部の規模がわかる。
凍った水原川の小さなそり
1999年1月、水原川で子どもたちが小さな木製のそりに乗っている。両手の棒で氷を突き、マフラーや厚いジャンパーを身に着けた体を低くかがめる。川面が冬の遊び場になった姿と、当時の服装を同時に見ることができる。
霊通の空き地で育てる菜園
1999年、霊通の菜園には家族単位の菜園づくりを案内する看板が立っている。耕された広い土地に人々が点在し、遠くには住宅や数階建ての建物が続く。街の空いた土地が、住民が自分で土に触れる生活の場所として使われている。
道路越しに見る霊通図書館
1999年の霊通図書館は、広い階段と曲線状の鉄骨構造が目を引く建物として写っている。横に続く窓と道路沿いの若い街路樹が正面に並ぶ。住宅の写真だけでは見えない、地域の公共施設と街路環境を一緒に伝えている。
霊通焼却場の色と形
1999年の霊通ごみ焼却場には、高い煙突と幾何学的な色面を施した建物が見える。手前にはガラスで覆われた構造が長く延び、周囲には道路や街路の設備が続く。目立つ公共施設の外観から、住宅地の日常を支える都市設備にも目を向けられる。
水辺に集まる子どもたちと釣りざお
2000年3月、水原川の水辺に子どもたちが集まっている。何人かは長い釣りざおを水へ向け、一人は石の上で身を低くして水中をのぞいている。すぐ後ろに高い石垣と道路がある場所で、川が近所の子どもたちの活動の場になっている。
水原川の石壁に色を添える手
2000年、錬武洞の水原川沿いで人々が石壁に筆を当てている。手前の人は塗料の缶を持ちながら石の表面を黄色く塗り、奥にも作業する人が続く。壁の下に敷かれた布や道具が、完成した壁画の背後にある作業を伝えている。
凍った水原川のそり
2001年1月、梅橋洞の水原川で子どもたちが小さなそりに乗っている。両手に短い棒を握って氷を押し、後ろにも何列ものそりが続く。雪の積もった土手と周囲の建物の間で、水の流れる場所が冬の遊び場に変わっている。
マンション前の道路と残る畑
2001年、霊通の道路開設予定地から見た風景だ。並ぶマンションと車の多い道路の手前には畑や仮設の建物が残り、電線が画面の上を横切っている。大規模な住宅団地と、まだ同じ都市の形になっていない周辺の土地が接する姿を示している。
南水門前の水原川、過去と現在
2001年には川沿いに店とパラソルが並び、川底の石が見えています。2012年には同じ流れを横切る南水門と、両岸に整えられた歩道が写ります。左の多層建物と右の教会の尖塔が、2つの時点を結ぶ手がかりです。
ここでの現在は2枚のうち後の撮影時点を指し、今日の姿ではありません。
南水門がなかった場所の流れ
2001年、栄洞橋からかつて南水門があった方向を見た水原川だ。両岸の市場の建物やテントの間を水が流れ、岸には工事用のコンクリート部材と荒れた地面が見える。2012年の写真と並べると、同じ周辺の建物の間に水門と整備された散策路が現れた変化を確認できる。
水門と散策路が整った水原川
2012年6月の写真では、復元された南水門が水原川を横切っている。複数のアーチの下を水が流れ、両岸には石を積んだ土手と曲線を描く散策路が続く。2001年の写真にも見える左の建物や奥の尖塔を手がかりに、同じ場所の流れと歩行空間の変化を確かめられる。
原資料は東水原交差点・水原駅・農協交差点周辺をまとめたアルバム。この一枚の正確な地点は確定していない。
ベビーカーと歩く広い歩道
2002年の「歩きたい通り」の記録には、ベビーカーを押す人と子どもたちが写っている。大きな建物の柱やベンチ、鉢植えの間には、広い歩行空間が設けられている。車の通る道と区別されたこの場所は、複数の人が並んで歩ける都市の歩道を示している。
まちづくりの作業で分け合う食事
2011年の池洞のまちづくり現場で、人々が大きな器のビビンバを小さな器に取り分けている。木陰には敷物や椅子が置かれ、脇には水の容器、おたま、いくつもの器が用意されている。塀の壁画作業とともに準備された食事が、近所の屋外空間を一時的な共同の食卓に変えている。
教室・校庭・水原大学
学び、遊んだ時間
机を並べて座り、校庭に集まり、学校の内外を行き来する姿。幼い頃の暮らしから大学の建物へと続く場面です。
実験台を囲む子どもたち
1964年、南昌国民学校の理科室で行われた実験・実習。子どもたちは小瓶や器具の並ぶ台に身を寄せ、中央の人の手元を見つめている。一か所を囲み、間近で一緒に観察する授業の姿が見える。
撮影年のみ確認でき、水辺の正確な場所は不明です。
浅瀬に手を浸して
1964年の南昌国民学校の記録に残る水遊び。二人の子どもが水際で身をかがめ、手を浸した周りに丸い波紋が重なって広がる。教室の外での遊びを身近に捉えた一枚だが、水辺の詳しい場所は記録されていない。
教室で食べる給食のパン
1973年、南昌国民学校のパンと牛乳の給食記録に写る子どもたち。机に座って大きなパンを両手で持ち、色や柄の違う服装も目に入る。教室が学ぶ場所であると同時に、一緒に食べる場所でもあった瞬間だ。
校庭のくす玉割り
1975年、南昌国民学校の運動会でくす玉割りをする場面。高く吊られた丸い玉の下に子どもが集まり、校庭の周囲や斜面には見物する人が長く並ぶ。教室を離れた遊びと応援が学校全体に広がっている。
原記録の題名に1976年8月21日と明記されています。
仕切りの前で受ける電気実技試験
1976年、水原工業高校で電気技能の実技試験を受ける人々。木の板で区切られた作業場所で配線を扱い、足元や台には電線と工具が置かれている。手で回路を組み上げる技術が試験の中心だったことが分かる。
運動場に並んだ二つの跳び箱
1991年、南昌学校の秋の運動会で子どもたちが跳び箱を跳んでいる。並べた二つの跳び箱の周りには、走ってくる子や見守る人々が集まる。土の運動場、万国旗、体操着が一緒に写り、学校の運動会の具体的な風景を伝える。
公開授業の日の教室
1992年、南昌学校の教育活動公開の日、教室には机に座る子どもたちと後ろに立つ大人がいる。開いた教科書やノート、壁時計、黒板脇の掲示物が授業の空間を埋める。前を見る子や隣を振り返る子の、それぞれの姿勢まで残る教室の記録である。
校外へ続く環境美化活動
1992年、南昌学校周辺の美化活動で、子どもたちが看板を持って道を歩いている。先頭の明るい色の帽子や上着、その後ろに長く続く列が目に入る。学校で始まった活動が、階段や塀のある地域の道まで続いている。
黒板の前の消火器の授業
1994年、南昌学校の子ども向け消防教育では、消火器が教卓の上に置かれている。黒板には授業の名前が大きく書かれ、前に立つ人が器具のそばで説明している。日常の安全を学ぶ授業が、教室でどのように行われたかを示す場面である。
低い膳と座布団のある礼儀作法室
1995年、南昌学校の礼儀作法室には、低い膳や茶器、色の異なる座布団が用意されている。奥の飾り棚や格子状の窓が、普通の教室とは違う雰囲気をつくる。座り方や食器の扱いなど、生活の作法を練習するために整えた校内の空間が見える。
冬の科学教室の実験台
1995年の冬の科学教室で、子どもたちが実験台の小さな器具を見ている。眼鏡をかけた子は手元を見下ろし、隣の子も体を寄せて同じ場所を見る。教科書を開く授業とは違い、材料を直接扱って観察する活動の姿が残されている。
学校バザーの食べ物の卓
1996年、南昌学校のバザーでは、テントの下の長い卓を人々が囲んでいる。器や食べ物の覆いの間には、食べたり料理を渡したりする手が見える。教室や運動場だけでなく、一緒に食べ、物をやり取りする場も学校の一日をつくっていた。
地球の模型に集まる子どもたち
1996年、南昌学校のクラブ活動で、子どもたちが地球の模型と赤い球のある器具を囲んでいる。手を伸ばして指す子や顔を近づける子など、姿勢はさまざまである。一つの教材を複数の子どもが囲んで観察する学び方が見える。
教室で向かい合う剣道部
1997年の南昌学校剣道部の活動写真では、防具を着けた二人の子が向かい合っている。中央に竹刀が伸び、窓際にはほかの子どもたちが座って見ている。机を片付けた木の床が、室内の練習場所として使われている。
厚みのあるモニターが並ぶコンピューター室
1997年、南昌学校のコンピューター室では、厚みのある白いモニターが各机に置かれている。子どもたちは画面に向かって座り、窓からの明るい光が並んだ機器の間に入る。キーボードやモニターの形が、当時の学校でコンピューターに触れる環境を具体的に示している。
マイクの前の校内放送
1997年の南昌学校放送局の写真では、二人の児童がマイクのある机に座っている。机には原稿が開かれ、後ろには「NBS」と書かれた表示が掛かる。校内で聞く放送の反対側、子どもたちが言葉を届ける場所を示している。
水ロケットを作る手
1998年、南昌学校の子どもたちが、ペットボトルや材料を机に広げて水ロケットを作っている。ボトルを持つ手や材料に伸ばす手の間に、縞模様のシャツや道具が見える。完成品を並べた写真とは違い、学校の科学活動の制作過程を残している。
ファイルとモニターのある職員室
1998年の南昌学校職員室には、色とりどりのファイルが机の間にぎっしり立てられている。モニターや紙の資料の向こうでは、人々が向かい合って座ったり立ったりして話している。児童の教室とともに学校を支えた事務空間の物や配置を示す写真である。
科学の日、部品を組み合わせる手
2000年の南昌初等学校の科学の日行事で、一人の子どもが組み立て道具を扱っている。机に説明書や部品の箱を広げ、色とりどりの板と接続部品を両手で組み合わせる。教室の机が、手でつくり試す作業台に変わった瞬間だ。
水原大学人文大学の全景
2006年の水原大学人文大学の全景だ。広い階段の上に白い柱とガラスの出入口が見える。売店があり、いつも学生でにぎわっていた場所だ。
体育大学前に並ぶスクールバス
2006年、水原大学の体育大学前にスクールバスが並んでいる。同じ色のバスが駐車区画に沿って整列している。水原駅からバスに乗ると、大学までは30分かかった。
昔の集落・遊園地・新しい街
集落から都市へ、光教の風景
遠川の水辺と光教一帯の集落、その後に広がる工事現場。行楽と日常の舞台が変わっていく過程をたどります。
遠川の水面に浮かぶ小舟
1972年の遠川の水面に、形の異なる小さな舟が散らばる。手前の舟では二人が向かい合い、奥には足こぎ式の舟や屋根付きの舟も見える。水上を移動することそのものを楽しむ余暇の一場面である。
光教プールの夏
1972年夏の光教プールには、水中にもプールサイドにも人が集まる。泳ぐ人のそばで縁に腰掛けて休む人がいて、後ろには階段席とパラソルも見える。大勢で水遊びを楽しむ屋外プールの風景だ。
遠川遊園地の船着き場
1985年の遠川遊園地では、アヒル形のボートや小舟が水辺に並んでつながれている。船着き場の後ろに食堂の看板と大きな屋根の建物が接し、道には自転車や来訪者も見える。水遊び、食事、散策の場所が近くに集まる遊園地の風景だ。
遠川アパートへの道
1988年、遠川アパートの団地へ入る道。高層住宅の下を乗用車が通り、車道の脇には歩道や若い木、入口の設備が並ぶ。遠くからの団地全景ではなく、住まいへ出入りする道の姿を近くに捉えている。
光教山入口の石段を歩く人々
1999年、光教山入口の石段や遊歩道には人々の姿が続いている。リュックを背負う人、軽装で歩く人、道端で腰を下ろす人が、それぞれの速さで同じ場所を使う。山そのものの景観よりも、市民が歩いて余暇を過ごす入口の風景が中心になっている。
観客席が姿を現す競技場
1999年、水原ワールドカップ競技場の工事現場では、丸く続く観客席が姿を現している。内部に大きなクレーンが立ち、土の見える地面の周りには作業場所が広がる。背後の既存建物と比べると、街の中に造られる大規模な体育施設の大きさが伝わってくる。
遠川周辺に広がる耕作地
2000年の二儀洞・遠川周辺には、畝のある耕作地が広がっている。低い施設やビニールハウスが点在し、畑の間を細い道や水路がつないでいる。大きな建物よりも農地の区画が目に入る、開発前の生活圏の姿だ。
ボートと飲食店が囲む遠川遊園地
2000年の遠川遊園地では、水辺に飲食店と船着き場が寄り添っている。湖上の小さなボート、道沿いの車、建物に掲げられた大きな看板を一緒に見ることができる。水遊びや食事、車での行楽が一つの場所に集まった遊園地の風景だ。
ジャンボプールの真夏
2000年8月、遠川遊園地のジャンボプールで人々が水遊びをしている。ピンクや青の浮き輪が水面に浮かび、プールの縁にはパラソルや休憩場所が並ぶ。手前の水遊びと奥の休息空間が一緒に写り、夏の行楽の動きをたどることができる。
光教山行きバスのそばの人々
2001年、京畿大学入口の停留所に「光教山」の表示を付けた13番バスが停まっている。帽子やリュックを身に着けた人々が歩道に集まり、隣の車線を乗用車が通る。山へ向かう移動が、市街地のバス停から始まる様子を写している。
大通りと集落が接する二儀洞
2004年、中小企業センターの屋上から見た二儀洞には、大きな道路と低層の集落が同時に見える。教会の周囲に家やビニールハウス、畑が並び、遠くにはマンションが連なっている。規模の異なる建物と耕作地が、同じ生活圏に共存していた姿を示している。
セジュッコルの台所に残る釜とかまど
2005年の二儀洞セジュッコルの家には、大きな釜を据えたかまどが残っている。蓋をした釜の横には火かき棒やほうきが置かれ、床には燃料となる枝も見える。調理道具と土の床が、ニュータウン開発前の集落の住まいを具体的に伝えている。
青い屋根の下、セジュッコルの家
2005年のセジュッコルでは、低い家の前に小さな庭と畑が続いている。青い屋根の下に木の戸や壁が見え、庭へ入る細い道の脇にはホースが置かれている。住まいと作物を育てる場所が隣り合う、集落の空間構成を示している。
建物と造成地が並ぶ光教
2008年の航空写真では、光教地区の大きな建物と道路を一望できる。形の整った建物の周囲には土の見える造成地と新しい道が続き、さらに遠くには住宅団地が見える。完成した施設とまだ空いた土地が一つの画面に収まり、都市がつくられる途中の姿を示している。
二儀洞の水原博物館へ続く道
2012年の二儀洞・水原博物館前には、入口まで広い舗装路が続いている。青いガラスの外壁の前に翼の形をした街灯や石の造形物が置かれ、道の両側には低い植栽空間が広がる。地域の歴史資料に触れる文化施設の建物と、そこへ向かう空間を写した写真だ。