蚕室、ともに育った街
新しい団地に引っ越し、地下鉄に乗り、球場で声を上げた場所。1975年から2009年までの写真100枚で、蚕室とその周辺でともに育った暮らしをたどります。
最初の写真から見る1975–1979
家を建て、街になる
工事現場に団地が立ち上がり、新しい家を待つ人々が集まります。低い建物と広い空き地の間で、蚕室の暮らしが始まります。
窓より先に生まれた街の輪郭
窓枠も入っていない団地が土の道を挟んで向かい合う。足場や資材が並ぶ地面に、花壇や駐車区画はまだない。繰り返されるコンクリートの骨組みが、多くの世帯の住まいを一度に造る開発の規模を伝える。
新しい団地の前に集まる人々
竣工を告げる縦長の幕の下に人々が集まる。明るい外壁も、まっすぐな道路も、まだ小さな街路樹も新しい。住宅の完成は各世帯の入居であると同時に、新しい街を社会に披露する行事でもあった。
竣工式の合間に交わされる言葉
花柄の服や袖のない上着を着た住民が、手すりのそばで話している。笑顔と身ぶりが公式行事の堅さを和らげる。記録によると、この市営住宅は立ち退きを経験した人々に分譲された。新しい住まいをめぐる暮らしの期待に近づく一枚だ。
車が小さく見える体育館
段を重ねた屋根の体育館の前を、数台の小さな車が通る。幅広い車線と空いた前庭が、建物の大きさを際立たせる。1979年に完成した体育館は、後に国際大会を迎える蚕室のスポーツ施設群の一角となった。
十五階に積み重なる暮らし
バルコニーが幾層にも連なり、棟の間には運動場や緑地が広く残る。遠くからも読める棟番号は、大きな団地で家を探す目印だ。1978年竣工の蚕室主公第5団地は、十五階建ての住宅が街の高さを変えた時代を映している。
1980–1983
列車が来て、人が来る
通勤のホーム、新しい橋、運動施設、子どもの公園。家に暮らす人々に、移動する道と共に使う場所が生まれます。
遊園地ができる前の湖
水際の土と工事用の道が、丸い湖の輪郭を描く。現在の石村湖を思わせる深い木陰や遊具はまだ見えない。1980年、湖と道路を整える工事の中で、水辺も新しい住宅都市の一部として造られていた。
同じ形の家、それぞれの暮らし
赤い壁と明るい階段室を持つ団地が遠くまで続く。同じ形の建物を反復する風景に、当時の大量住宅供給の方法が見える。市営住宅は、持ち家のない人々や立ち退き住民の住居問題を和らげるため、1970年代に段階的に建設された。
団地の横を走り始めた電車
赤い帯の電車が、団地のすぐ横の高架線を走る。線路の下には舗装路と空き地が並ぶ。1980年の新設洞〜総合運動場間の開通を前にした試運転で、新しい住宅地の生活圏が鉄道とともに広がる瞬間だ。
川を越えて広がる生活圏
広い川と砂州を横切る蚕室鉄橋に、一編成の電車が走る。建物よりも水と空き地のほうが大きく見える風景だ。長い橋の上の短い電車が、両岸の住まいと職場を日々結ぶ、新しい移動の始まりを予感させる。
夏のシャツで埋まるホーム
電車から降りた人々がホームを埋める。白い半袖シャツ、丸い眼鏡、短く巻いた髪形が目に留まる。総合運動場駅の開業から間もない1981年。鉄道建設の成果が、線路や駅舎ではなく人の流れとして現れている。
水面の上に重なる高さ
高さの異なる飛び込み台が重なり、大きな窓からの光が水面を照らす。泳ぐ人のいないプールでは、競技施設の構造がよく分かる。住宅や道路が増える一方、蚕室には国際競技にも対応する専門的なスポーツ施設が整えられていた。
新しい球場を埋める観客
屋根の黒い曲線の下に、観客席と緑の芝が広がる。ダイヤモンドを囲む人々の密度が、新球場の大きさを実感させる。1982年7月、蚕室野球場の開場を記念した高校招待試合だ。後に親しまれる観戦の場所が、開いたばかりの頃である。
地下へ続く新しい道
整ったタイル壁の間に、二列のエスカレーターが並ぶ。手すりと金属のステップに新しい設備の輪郭が残る。総合運動場からソウル教育大学方面へ延びた2号線の記録だ。地下鉄は移動距離だけでなく、日々の上り下りの仕方も変えていった。
緑の電車と終着駅の表示
緑の車体に「総合運動場」の行先表示が付いている。ホームドアはなく、運転室もすぐ近くに見える。2号線が環状線になる前、蚕室が路線の終点だった時代を、小さな行先表示が伝えている。
身近な道が都市の幹線へ
団地の前で曲がる道路と工事中の空き地が重なる。道が上下に分かれ、車の流れも立体的になる。蚕室大橋付近の江南路、現在のオリンピック大路の拡張工事だ。川沿いが大きな交通路へ整えられていく過程が見える。
街路樹の向こうに広がる河川敷
大きく育った街路樹が道路沿いに続き、その向こうでは川辺の土を整えている。以前からある道と、新しく造られる余暇の場所が並ぶ。蚕室体育公園の工事は、川を眺めるだけでなく、その岸を生活に使う変化を映している。
小さな運転手が学ぶ街
子どもたちが小さな足こぎ車で、横断歩道や信号のある道を走る。冬の上着を着た大人がそばで見守る。1983年開園の子ども交通公園は、道路を子どもの大きさに縮めた場所だった。車の増える都市のルールを、遊びながら学んだ。
1984–1988
世界を迎えた私たちの顔
競技場と道路だけでは大会は開けません。応援する市民、ボランティア、準備する手の中に、アジア大会とソウル五輪を見つけます。
ホドリの下で記念撮影
大きな五輪マークとホドリの看板の下を行楽客が歩く。手前の人々は足を止め、カメラに向かって立っている。主競技場が開いた1984年頃、国際大会のための建物は、市民が自分の記念写真を残す新しい名所にもなっていた。
競技場の屋根が上がるまで
赤い鉄骨が空中で格子を作り、周囲に何台ものクレーンが立つ。地面の資材と土の山には、完成後の整った競技場の姿はまだない。重量挙げ競技場の上棟の記録が、国際行事の準備は巨大な建設作業でもあったことを伝える。
スタートラインから生まれる速さ
低く構えた選手が体を起こし、スタートラインを蹴り出す。レーン番号、スターティングブロック、背後の電光掲示板が一瞬の動きを囲む。1985年の国際陸上大会。主競技場は五輪前から実際の試合で選手と観客を迎えていた。
空中に止まった跳躍
高跳びのバーの近くに選手の体が浮かび、トラック脇の観客が見つめる。整然と並ぶ座席と、一瞬の身体の動きが対照的だ。1985年の国際陸上大会の写真では、都市や建物の大きさより、一人が全身で生み出す高さに目が向く。
漢江の縁を描き直す
蚕室大橋と鉄橋の向こうに橋が続き、両岸には工事区間が長く露出している。水辺の土、道路、団地が同じ風景に重なる。漢江総合開発は、川岸の整備とともに、移動や休息の場所も組み替える事業だった。
競技場の向かいにできた選手村
高さの違う団地が並び、川の向こうではなく道路のすぐ向かいに競技場が見える。棟の間には工事の跡と小さな木が残る。1986年の大会のために造られたアジア選手村は、大会後も続く都市の住宅地でもあった。
大会を支える市民の席
天井の中央から色とりどりの飾りが広がり、その下に無数の椅子が円を描く。会場の中心を埋めているのは選手ではなく市民ボランティアだ。1986年の集会は、国際大会が案内や運営を担う人々の時間にも支えられていたことを示す。
一人ずつの顔からなる大会
手前の顔や肩の向こうに、きちんとした服装の参加者がぎっしり座る。遠くでは一つの群衆に見えた集会が、近くでは異なる表情や髪形に分かれる。「市民ボランティア」という呼び名の後ろにいた、一人ひとりの姿が見えてくる。
街全体で来訪者を迎える
広い道路に「WELCOME」とアジア大会の文字が掲げられる。街路樹、中央分離帯、横断歩道も整っている。歓迎の印は競技場の入口だけにとどまらない。大会へ向かう道そのものが、都市を紹介する舞台になっていた。
車の少ない新しい道路
新しい車線が地下道の入口まで続く。両側の空き地と電柱が、道の幅をいっそう大きく感じさせる。1986年の南部循環路延伸は、大峙洞と可楽市場を結んだ。住宅地と市場をつなぐ基盤が、周辺の街並みより先に整う様子だ。
団地の間に置かれた暮らしの中心
高い住宅棟の間に、低く丸みのある商業施設が建つ。小さな広場と歩く空間が周りを囲む。アジア選手村は寝る部屋だけでは完成しなかった。買い物や人との出会いの場所があってこそ、住まいの集まりは一つの街になる。
石を椅子にする川辺
人々が水際の石に座り、長い釣り竿を伸ばしている。帽子やベスト、足元の道具に余暇の支度が見える。整備中の漢江の記録の中でも、市民は自分たちなりの水辺の居場所を見つける。大きな工事とゆっくりした午後が、同じ都市にあった。
服装は違っても同じ出発線
半袖のシャツ、長ズボン、軽い運動着の人々が広い道に繰り出す。選手の統一された服装とは違い、それぞれの日常着が混ざっている。1987年の聖火リレーコース走行大会は、国際行事への期待を、市民が体で参加できる祭りに変えた。
新しい門の下を歩く人々
翼のような大屋根の下を、スーツや夏のシャツ姿の人々が行き交う。壁画と五輪マークは遠くからも鮮明で、その下の人は小さく見える。1988年完成の世界平和の門は、公園の象徴であり、数々の待ち合わせや散策の入口となった。
五輪の飾りが浮かぶ大通り
道路の両側に風船の飾りが並び、広い横断歩道の向こうに団地が続く。車や歩行者のための道に、祝祭の装いが加わった。五輪を前にした蚕室では、住宅地の普段の道路も国際行事の雰囲気をまとっていた。
川辺で大会の成功を願う
韓服姿の出演者が動き、船の各階の手すりや水際に見物人が集まる。旗や飾りが普段の船着場を行事の会場に変えた。1988年、蚕室の漢江河川敷で開かれた五輪成功祈願の灯籠祭。宗教行事、芸能、市民の期待が交わっている。
湖畔に現れた別の種類の建物
湖の向こうに高いホテルと赤い遊具の構造物が並ぶ。整った住宅棟が中心だった蚕室に、宿泊や娯楽のための形が加わった。記録はホテルロッテワールドが1988年の五輪に合わせて完成したと伝える。湖畔は新しい消費と余暇の場所になりつつあった。
コートの高さで見る五輪
色の違うユニフォームの選手たちが、バスケットゴールの下に集まる。五輪マーク、太極の飾り、紫の客席がコートの色と重なる。1988年ソウル五輪の韓国対ブルガリア女子バスケットボール。巨大な行事が、一つのボールを追う身近な動きになる。
1995–1996
客席で、路地で、水辺で
大きな大会が終わった場所でも生活は続きます。野球を見て、湖にボートを浮かべ、川辺でボールを交わす人々の1990年代です。
木陰の下に続く団地の道
大きな70棟の数字の下に低い団地が続き、内側の道には木陰に沿って車が並ぶ。電柱と電線も住まいの近くを通る。新築住宅の晴れやかな正面ではなく、使われた時間の重なる住宅地の内側を見せる風景だ。
車の横で橋を直す
麦わら帽子や作業着の人々が、鉄筋の露出した道路で働く。すぐ隣の車線を乗用車やトラックが通り続ける。生活に組み込まれた橋は、通行を保ちながら修理される。都市の便利さを支える維持管理の仕事が、近くに見える。
どこまでも続く線路と緑の電車
車窓と鉄橋のレールが、一点に向かって細く続く。防護柵と頭上の架線が川を渡る道を囲む。地下鉄という名前でも、蚕室の電車は地上や川の上を走る。移動手段が、そのまま街の風景の一部になっている。
湖の中央に浮かぶ遊びの島
濃い水の色の中に、城や遊具の集まる島が浮かぶ。後ろには百貨店とホテルが続く。散策、買い物、遊園地が一つの場所で結ばれた風景だ。住宅都市として始まった蚕室が、家族の行楽や消費の目的地にもなったことが分かる。
物語のような背景と白いドレス
白いドレスと黒い礼服の二人が、尖った塔の下に立つ。後ろを遊具のレールが通り、周囲の人が撮影を見守る。観光のための異国的な景色が、個人の記念写真の背景にもなる。街のイメージが家族のアルバムへ入る瞬間だ。
大きな施設のそばのゆっくりした歩み
木々の茂る細い道を、一人がゆっくり歩く。華やかな遊具ではなく、枝や土色の散歩道が画面を満たす。石村湖は遠くから来る行楽客だけの場所ではない。近所で少し歩き、休む日常も、同じ水辺を使っていた。
区民運動会に立つ大きなブランコ
色とりどりの布で飾られた高いブランコの下で、人々が順番を待つ。一人が空中へ大きく上がり、トラック脇では帽子姿の見物人が座る。国際大会の運動場は、住民が一緒に遊び、声援を送る場所にもなっていた。
「蚕室第1洞」の応援席
客席の前に蚕室第1洞、第2洞の大きな表示が付く。住民は帽子や色とりどりの応援道具で席を満たす。代表チームやプロ球団ではなく、近所の名を掲げる秋の運動会。住所の行政区画が、一緒に応援する集まりの名前になる。
遠足の途中で並んで休む
大きな彫刻の下の低い縁石に、子どもたちが並んで座る。小さなかばんと、そばに立つ大人が、集団で出かけた日の休憩を伝える。競技場や彫刻のある公園は、遠くへ行かなくても出会える都市の遠足先だった。
木陰に広がる黄色い運動着
黄色い服をそろえた子どもたちが、ベンチや木のそばに集まる。休む子も体を伸ばす子もいて、同じ服でも動きはばらばらだ。大きな記念公園が小さな身ぶりで満たされ、大会を記憶する場所が日常の遊び場になる。
広場を練習場にする人々
広いレンガ敷きの広場で、人々が体をかがめたりバランスを取ったりしている。背後の体育館より、近くの身体の動きに目が向く。競技場の外の平らな地面は、自分の速さで運動を練習できる場所だ。大施設の余白も生活の舞台になる。
日が沈んだ後の平和の門
桃色の雲の下に、平和の門の広い屋根が黒い輪郭を残す。昼の行事の象徴より、空と建物の間の余白が大きく感じられる。大会後もこの構造物は日々違う光を受け、近所の人々が夕方を過ごす背景になっている。
ホテルの横に残っていた空き地
営業中のホテルや百貨店の横に、土の山と工事車両が見える。囲いの中には木の残る場所と掘り返された場所が混在する。第2ロッテワールド予定地の記録だ。完成した商業空間の隣にも、再び造られるのを待つ土地があった。
橋の下に集まる都市の休日
大きな橋脚の下に、自転車や車、休む人々が集まる。繰り返す柱が作る長い影は、水辺の強い日差しを避ける場所だ。上では車が移動し、下では人がとどまる。一つの構造物に、速さの異なる生活が重なっている。
土のコートで放つ一投
袖のない上着の人がボールを投げ、二人がその軌道を見上げる。整った屋内コートではなく、土の地面と移動式のゴールがある。大きな客席がなくても運動は始められる。川辺は身近な仲間と体を動かし、時を過ごす場所だった。
買い物の風景が大きくなる
独特な百貨店の外壁に縦長の広告が掛かり、前の道に車やバスが並ぶ。建物は商品を売る場所であるとともに、街の目立つ目印にもなる。団地の小さな商店とは異なる規模の消費空間が、蚕室交差点の印象を変えた。
走る人と、座って読む人
赤い上着の人が湖畔を走り、ベンチの人は手元の紙を見つめる。葉のない枝の間から水が見える。同じ散歩道に運動と休息が並ぶ。特別な催しがなくても、都市に公園が必要な理由を伝える場面だ。
低い屋根から伸びる煙突
同じほどの高さの団地の屋根が続き、その間から長い煙突が伸びる。棟の間には冬の木の枝が見える。遠くの大きな建物と違い、この暮らしは低く細かな単位で組み立てられている。建て替え前の蚕室第2団地の密度を伝える。
試合とともに動く応援団
赤い上着と白いショートパンツの応援団が、観客席前の台で踊る。すぐ後ろの人々は試合を見つめる。球場はボールの行き交う運動場であり、音楽や動きを楽しむ舞台でもあった。応援そのものが観戦の一部になった風景だ。
同じ方向を見る無数の顔
帽子、サングラス、ジャンパー、シャツ姿の観客が段状の席を埋める。前のめりになる人も、背を預けて座る人もいる。服装や姿勢が違っても、視線は同じグラウンドへ向かう。野球が日常の人々を、ひととき一つの観客にする。
石と浅い水がつくる遊び場
小さなリュックを背負った子どもがしゃがみ、水際の石の間へ手を伸ばす。大きな橋や建物は画面から消え、砂利と指先が近くに見える。川辺の遊びは決められた施設の中だけではない。小さな水たまりにも、子どもはすることを見つける。
301棟と304棟の間に見える家々
大きな棟番号のある二つの壁の間に、バルコニー、洗濯物、木々が続く。遠くに高い商業ビルがあるが、視線は団地の狭い内側へ向かう。外からは一つに見える団地も、近くでは多くの窓と暮らしの跡に分かれる。
木々の間に残るホドリ
木陰にホドリと「SEOUL 1988」の看板が立つ。前には車や移動式の柵があり、記念物の周囲が日常的に使われていることが分かる。大会から年月が過ぎてもマスコットは残った。大きな行事の記憶が、身近な街の目印に変わっている。
団地の街に続く古い土城
曲線を描く水辺と丸い緑地が広がり、遠くを団地が囲む。夢村土城周辺の低い地形は、直線的な都市の建物とは異なるリズムをつくる。オリンピック公園は競技施設だけでなく、百済の遺跡と緑を都市の休息の場に取り込んでいる。
人が集まれるように造られた広場
広い舗装面に円と直線の模様が続き、ガラス屋根や建物が周囲を区切る。近隣の団地と比べると、広場の空いた面積が際立つ。大勢が集まって散っていくための場所は、行事のない日にも歩き、会い、休む都市の余白となる。
橋の下にとどまるバス
橋の下にバスが止まり、その横に小さな椅子や物が置かれている。階段が上の道路と川辺をつなぐ。橋脚の間は通り道だけでなく、車がとどまり活動を準備する場所にもなる。巨大な構造物の下に、小さな使い方が付け加わっている。
赤い傘の下で釣る
赤と白の傘を開いた人が、手すりのそばで釣り竿を持つ。すぐ横で堰から水が落ち、頭上を橋が通る。速い水と交通施設の中に、ゆっくり待つ行為が置かれている。自分で選んだ川辺の一角に、別の時間が流れる。
白鳥のボートに乗せた小さな外出
白鳥形の白いボートに人々が並んで座り、湖を進む。散歩道や遊具は近いが、水に浮かぶと少し距離が生まれる。遠くへ旅しなくても水上の体験を楽しめた。蚕室の余暇は、こうした小さく具体的な遊びとしても記憶される。
競技場前を走る黄色いバス
黄色いバスと色の違う乗用車が、緑の多い大通りを走る。後ろに競技施設の屋根が見え、道路の幕は別の催しを告げる。大会のために造られた道や施設は、その後も通勤、通学、普段の移動の背景として使われ続けた。
青い屋根の前で交わすボール
似たユニフォームの人々が土の地面でボールをやり取りする。後ろに青い屋根、漢江、団地が重なる。プロ競技の華やかな客席とは違い、小さな集まりの繰り返す練習に近い。川辺の運動空間は、見る人を実際にする人にも変えていく。
1999–2000
見慣れたものを近くから
屋上の貯水タンク、重なる看板、ホームの窓辺、駐車した車。新世紀を迎える街の表情は、小さく具体的な生活の跡にあります。
旗の円の向こうに広がる緑
円形に並ぶ旗の奥で噴水が上がり、水の向こうに低い丘と森が続く。国際大会の記念空間と夢村土城の地形が一望できる。オリンピックのために整えられた公園が、大会後も都市の広い緑地として残っている。
団地の外にも続く街
低い屋根が格子状の道に沿って密集し、大きな校舎と土の運動場がその間に広い空間を作る。蚕室周辺の生活圏は大規模な団地だけでできていたわけではない。小さな敷地の家や店、学校も都市の日常を支えている。
66棟、67棟、屋上の生活設備
大きな棟番号の下にバルコニーが重なり、屋上には丸い貯水タンクや配管が並ぶ。似た建物でも、窓や洗濯物、付け足された設備に暮らしの違いが現れる。遠くからは整然と見える住宅公社の団地も、近くでは長く使われてきた跡が見えてくる。
日が暮れても続く試合
黒い空の下で照明が芝生と選手を明るく照らす。手前の観客の背中は暗く、向かいの席は小さな点で埋まっている。昼の仕事が終わってからも大勢が同じ試合を見られるナイターは、都市の夜を共に過ごす場だった。
川の曲がり角に収まる競技場
赤いトラックを囲む主競技場の楕円形の縁の向こうに、漢江といくつもの橋が続く。両岸の団地は遠くまで連なる壁のようだ。競技場を建てるという一つの出来事が、道、住宅、水路の結びつく都市全体の大きさへ広がって見える。
看板から階を読む通り
塾、カラオケ店、刺身店の名前が建物の壁に縦に並ぶ。車が行き交う道に向けて、上の階の店も存在を知らせている。石村洞の商店街では、建物の形よりも何をし、何を売る場所なのかが先に目に入る。
子ども交通公園の入り口で
信号機をかたどった飾りのアーチの下に、公園の入り口が開く。長いコートの人が前を通り、奥には葉を落とした木と団地がある。車の多い都市では、子どもが道路の決まりを学ぶ場所も身近な施設の一つになっていた。
交通の決まりを伝える小さな人物
制服と帽子を描いたユーモラスな看板が、広い舗装面に立つ。葉のない枝の影が地面に長く伸びている。複雑な道路の決まりを、子どもが親しめる姿に置き換えた仕掛けだ。同じ公園の中に遊びと安全教育がある。
鉄道の下にも続く道
高架の下を車が通り、陰になる端には店と歩行者が集まる。城内駅周辺では、上で列車が、下で街の移動が続く。大きな交通施設が、路地の明るさや道の高低まで変えながら日常に入り込んでいる。
駐車した車で狭くなる団地の道
低い団地の間の道は、両側を駐車車両に埋められている。その上に洗濯物や冬の木が見える。住まいを中心に造られた団地に車が増え、歩く場所、駐車する場所、暮らす場所がいっそう密接に重なっていく。
ホームドアのないホーム
緑の帯の電車の横に、リュックやコート姿の乗客が立つ。天井の鉄骨と黄色い出口表示が続き、ホームの端は明るい外へ開く。線路と人の間にガラスの壁がなかった地上駅の広がりが残っている。
城内駅の窓辺、二つの赤い服
窓からの光の下に、赤い服の大人と子どもが立つ。ベンチや柱のそばで待つ人は濃い影の中にいる。小さな駅名板、レンガの壁、窓の外の団地が一緒に写り、通勤の施設にも異なる待ち時間があることを伝える。
団地、道路、河川敷が並ぶ
長く並ぶ薔薇団地の横に、道路、緑の堤防、河川敷の運動場が平行に続く。水辺へ下りるまでに、いくつもの高低差や境界を越える構造が見える。漢江の近くに暮らすことには、川を見ることと、川への道を探すことの両方があった。
土城の道とガラスのビル
低いロープの柵が緑の丘の曲線をたどり、散歩道の向こうに高いオフィスビルが立つ。百済の夢村土城は、現代都市の外ではなく、その中に残っている。緩やかな土の高さと真っすぐなビルの高さが、異なる時間を同じ視界に示す。
百済の古墳のそばを通る今の道
瓦屋根と石垣の前に赤い花が咲き、その横を乗用車が通る。二人が横断歩道を渡り、普段の移動を続けている。石村洞古墳の周りでは、古い遺跡、車道、歩く人が近い隣人になっている。
広い土の広場を横切る子どもたち
黄色い上着やオーバーオール、小さな帽子の子どもが広い土の地面を歩く。頭上では鳥が散らばって飛び、遠くの木陰には別の来訪者が見える。遺跡を囲む空間は、過去を知る場所であり、子どもが体を動かせる街の庭でもある。
競技場を望みながら水の上へ
何人かがボードに伏せたり姿勢を低くしたりして浮かび、片側にはピンクの帆が立つ。対岸の蚕室総合運動場が背景になる。客席から競技を見る風景とは別に、ここでは人々が自ら川を使う水上の余暇が広がる。
自動車道の下の自転車道
明るい運動着とヘルメットの自転車利用者が、赤い道を近づいてくる。すぐ上で太い橋脚が高架道路を支え、道の両側には草が茂る。同じ川辺を走る自動車と、自分の体で進む自転車が、異なる高さを並んで流れている。
2004–2009
家は建て直され、季節は巡る
団地がなくなった土地の横でも、人々は食事をし、公園を歩き、子どもの写真を撮ります。大きく変わる都市と繰り返す日常が、ともに蚕室の記憶になります。
雪に覆われた公園の三つのベンチ
枝と芝生が白く覆われ、三つのベンチが並ぶ。赤いコートの人が歩き、別の人はベンチの端に座っている。大きな催しのための公園も、最も静かな季節には、それぞれの時間を過ごす小さな場所に分かれる。
光が示す交差点の大きさ
見下ろした交差点に何列もの車と長い光の軌跡が重なる。角の木の飾りや商業施設も暗闇で明るく光る。昼は車線として見える道が、夜には動きの跡になる。蚕室の商業中心地へ人々が集まり、散っていく規模が表れている。
秋祭りを知らせる大きな自転車
花壇の上に白い自転車形の大きな飾りが置かれ、その上の看板が秋祭りを告げる。奥には黄色く色づいた街路樹が続く。見慣れた公園の入り口も、季節の飾りや催しで訪れる理由を新たにする。街の繰り返す時間が祭りの暦になる。
家がなくなった場所に現れる土地
漢江のそばの広い敷地が土色に開き、工事区域を分ける道路が鮮明に見える。団地があった場所と周囲に残る住宅地がくっきり分かれる。蚕室第1・第2団地の建て替え現場は、古い街から新しい団地へ変わる間の短い時間を記録している。
団地の大通りを渡る夏の人々
白い横断歩道を、短パンや軽い上着の人々が両方向に渡る。一人は日傘を持ち、後ろの車は信号を待つ。両側に団地が続く中、人の歩幅が道路の大きさを教える。広い車道も、しばらくは街の歩く道になる。
水辺で目の高さを合わせる瞬間
黒い半袖と短パンの大人が姿勢を低くして子どもを見る。二人の間の石には食べ物や飲み物が置かれ、後ろに橋と水が続く。大きな漢江の施設の前でも、写真の中心は近くの二人のしぐさだ。川辺の思い出は、こんな小さな場所で作られる。
新川の路地で一食を選ぶ
アンコウ料理、鶏料理、PCルームの看板の下から人々が歩いてくる。店先にはワゴン車や配送車が止まり、人と車が道を共に使う。新川の飲食街では食事、待ち合わせ、遊びが近くに集まる。歩くこと自体が、今日は何をするか選ぶ時間になる。
刺身店の看板の下の青いトラック
イカやカレイ、メバルなどの名前が大きな看板を埋め、店先には水槽や冷蔵設備が置かれている。青い小型トラックが画面の下を横切る。客に見える料理名の後ろには、品物を運び保管する仕事がある。飲食街の活気はこうした流通と労働に支えられる。
ガラスの中の料理と向かいの通り
ショーケースに皿ごとの食品サンプルが並び、ガラスには向かいの看板や車が映る。文字のメニューを読む前に、形や量を目で選べる仕掛けだ。店内の食事と外の路地の風景が、一枚のガラスに重なっている。
自転車が通り抜ける広場
大人がこぐ自転車の後ろに子どもが乗り、横では小さな自転車が同じ方向へ進む。後ろに色や模様の違う熊の像が並ぶ。オリンピック公園の広場は展示場であるとともに、子どもが走り、自転車を覚える生活の場でもある。
熊の像のそばで残す一枚
子どもが大きな熊の像の横に立ち、帽子の大人がカメラを向ける。それぞれ違う絵や色の像が並んでいる。公共空間の展示は、作品を見るだけでは終わらない。横に立って撮る個人の写真に入り、外出の記録になる。
橋の上の車、橋の下の小舟
石村湖の橋を車が渡り、その下では屋根のある小舟が進む。赤や黄色の葉が両側の水辺を包む。通り抜ける道と、ゆっくり楽しむ道が同じ場面に重なる。都心の湖が異なる速さを受け止めている。
黄色い葉が歩道になる日
イチョウの葉が頭上と足元を黄色く満たす。ジャンパーや長袖姿の人々がまとまって歩き、一部は道端で立ち止まる。地下鉄駅周辺の見慣れた歩道が季節の見どころになる。遠出をしなくても、一緒に歩く理由をくれる街の秋だ。
赤い道を歩く二つの運動着
青と赤の運動着の二人が並んで歩く。両側に木が並ぶ道には、落ち葉が厚く積もっている。華やかな遊具や大きな催しがなくても、公園は時間を共にする場所になる。繰り返す散歩が、街を長く記憶に残していく。
走り出す前に一斉に上がる手
袖のない運動着、ゼッケン、帽子、サングラスの参加者が道を埋める。多くの手が一斉に上がり、カメラへ向く。都市の大通りが、ひととき市民の出発線になる。記録を目指す運動と集まる祭りの性格が、マラソンの中で重なっている。
橋を渡る途中にとどまる夜
丸いガラス窓の展望空間に明かりがともり、木の床の歩道が手すりに沿って続く。隣の車道には車の光が長い線を引く。蚕室大橋は移動の施設に、とどまる場所を加えた。川を渡ることと眺めることが、一つの道で出会う。
川の向こうから見る新しい蚕室
トゥクソム側の広い舗装面と若い木の向こうに漢江が広がり、対岸には蚕室総合運動場と高くなった団地が長く並ぶ。この写真の蚕室は、川を隔てて眺める街だ。水辺の公園と住宅の高さがともに変わった、2009年の風景へと物語は続く。